大東亜戦争 開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦の詔書 )

現代語訳

日本人ならば見て欲しい開戦の想い

https://www.youtube.com/watch?v=pdAnjP-JTtg

https://www.youtube.com/watch?v=txRGzM1rQiY

 

神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。

私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私の全ての政府関係者はつとめに励んで職務に身を捧げ、私の国民はおのおのその本分を尽くし、一億の心を一つにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成する為に手違いのないようにせよ。

そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びを共にする事は、帝国の外交の要としているところである。

今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するに至った。誠にやむを得ない事態となった。

このような事態は決して私の本意ではない。

中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態に至らしめ、もう4年以上経過している。

幸いに、国民政府は南京政府に新たに変わった。

帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、未だに相互のせめぎ合う姿勢を改めない。

米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名に隠れて、東洋の征服する非道な野望をたくましくしている。

あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、我が国に挑戦し、更に帝国の平和的通商に、あらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。

私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが米英は、少しも互いに譲る合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。

このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。

ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立ち上がり、一切の障害を破砕する以外にない。

皇祖皇宗の祖霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業をを推し広め、すみやかに禍根を取り除き、東アジアに永遠の平和を確率し、それによって帝国の光栄の保全を期するものである。

昭和十六年十二月八日(1941年)

 

 

靖国神社終戦60周年国民の集い

平成17年(2005年)

小野田寛郎のスピーチ

 

http://future-of-japan.xyz/wp-content/uploads/2018/11/download.jpg

大正11年(1922年3月19日和歌山県海草郡亀川村(現・海南市生) -
 平成26年(2014年1月16日中央区の病院で死去91歳没

1974年3月9日かつての上官である谷口義美陸軍少佐から、文語文による山下奉文陸軍大将(14HA司令官)名の「尚武集団作戦命令」と、口達による「参謀部別班命令(下記)」で任務解除・帰国命令が下る。

著書『小野田寛郎―わがルバング島の30年戦争』

スピーチ

ご紹介を頂きました、
小野田でございます。

私は今まで、この席を借り、あるいは他の会合で、「黙って靖国神社にお参りして頂きたい」それをお願いしてまいりました。

今、平沼さん(元経済産業大臣)が言われたように、靖国神社に15日にお参りすると言ったのは、他でもない小泉首相であります。

「命を賭けて」と言って、いわゆる(衆議院)解散をしました。
何故、「命を賭けて」今日お参りできないのか!

私は敢えて首相をけなしたくはありません。しかしながら、一国の首相たる者が、この靖国神社へお参りをして「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。

果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を散らせたのでありましょうか。私は国の手違いによって、15年間靖国神社におまつりをして頂きました。

もし私がその時に本当に死んでいたとすれば国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、
そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って死んでいったのであり、また私だけでなしに私の仲間も皆そうであります。

それがなんで「同情」の対象なんでしょう。「誇り」を持って死んでいった人に対して何故ただ黙って「ありがとうございました」と感謝の念を捧げられないのか。

私は小泉首相に大反対であります。靖国神社について、あるいはまた戦後のいわゆる国際裁判のこと、色々先ほどから諸先生方にお話を伺いました。

また、ここにお集まりの皆様方は、充分そのことをご承知のことと思います。

事後法(東京裁判のこと)など裁判ではありません。A級戦犯とは、敵国側が占領中につけた名前であって、決して我々の認める名前ではありません。

私はただ一言だけ、時間の関係で皆様に何としても申し上げたいことがあります。それは、先ほど陛下の「終戦の詔書」を拝聴致しました。しかしながら、現在の日本において何故「開戦の詔書」を拝聴する機会が無いのかということであります。

ものには「終わり」があるということは「はじめ」があるからです。

「結果」があるということは「原因」があるからであります。

「開戦の詔書」は私は本当に入隊するまでの間、しばらく何ヶ月か、いわゆるお聞きした。今でもよく憶えております。

〜〜〜「開戦の詔書」を
途中から暗誦される〜〜〜

「豈(あに)朕(ちん)ガ志ナラムヤ」
(※現代訳:このような事態は、決して私の本意では無い。)

と仰せられているのであります。

終戦の詔書にも、その旨が言われておりますけれども

「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、決然起(た)ッテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破砕(はさい)スルノ外(ほか)ナキナリ」
(※現代訳:日本の自存自衛の為には、
立ち上がる他はない)

陛下の言われている所に、大東亜戦争の真の目的がハッキリと示されているのであります。何が侵略戦争でありましょう!

それを、ハッキリ日本国民が自覚すれば、この靖国神社に黙ってお参りをし、そして黙って感謝の気持ちを捧げられるはずであります。

その感謝の気持ちこそが、国を守るという大きな気持ちに繋がっていく、

私はそれを死ぬまで皆様方に申し上げたいと思います。

どうか皆様、私が申し上げた「開戦の詔書」には、一部言葉の違いがあるかもしれませんが、意味においては私は絶対に間違ってないと思います。

私は国の為を信じて三十年間戦い続けてきました。だけど、生きていたから靖国神社では落第生であります。だけど、私と同じ日に死んだ、この仲間の気持ちは私と同じでありまして、私が今生きているからこそ、皆様にそう伝えたいわけです。

ご静聴ありがとうございました。

 

終戦の詔書

終戦の詔勅(現代語訳)

朕は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を収拾しようと考え、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げます。

朕は、帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させました。
 

そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてきたもので、朕もそれをつねづね心がけてきました。
先に米英の二国に宣戦した理由も、実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより朕の志すところではありません。
しかるに交戦状態はすでに4年を過ぎ、朕の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、朕のすべての官僚役人の精勤と励行、朕の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえません。

 そればかりか、敵は新たに残虐なる新型爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、
まことにはかりしれません。この上、なお交戦を続けるのでしょうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいありません。

そのようになったならば、朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいのでしょう。皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいのでしょうか。
 

以上が、朕が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由です。

朕は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた諸々の同盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえません。
 

帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、朕の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりです。

 かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、朕の心より深く憂うるところです。

思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではありません。汝ら臣民の真情も、朕はよく知っています。
 

しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、泰平の世への一歩を踏み出したいと思います。 

朕はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにあります。 

もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、朕のもっとも戒めるところです。

そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけなさい。
 

汝ら臣民、以上のことを朕が意志として体しなさい。

 御名御璽
昭和20年8月14日 

 

小野田寛郎さん名言集

https://www.youtube.com/watch?v=tWeJFf_lu_U

https://www.youtube.com/watch?v=SJluLt10sP4

https://www.youtube.com/watch?v=RXHyeLioeY0

https://www.youtube.com/watch?v=23g3dag1o7s

https://www.youtube.com/watch?v=CVOTxN4awg0

小野田寛郎さんの遺言※ 

今は亡き小野田さんの日本人としてのあり方を憂いを込めて語っています。

https://www.youtube.com/watch?v=Ccos6wNsU8E

https://www.youtube.com/watch?v=lx10pvOPsWE