聖徳太子17条憲法(wikipedia)

憲法の名を冠してはいるが、政府と国民の関係を規律する近代憲法とは異なり、その内容は、

官僚貴族に対する道徳的な規範が示されており、行政法としての性格が強い。

また、神道に、儒教[1]仏教の思想が習合されており、法家道教の影響も見られる。

第1条 和を以て貴しとなす

 一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

訳文「和を大切にし人といさかいをせぬようにせよ。人にはそれぞれつきあいというものがあるが、この世に理想的な人格者というのは少ないものだ。それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲たがいを起こしたりする。しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。」

第2条 篤く三宝を敬へ

二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか柱かる直さん。

訳文「篤く仏教を信仰せよ。仏教はあらゆる生きものの最後に帰するところ、すべての国々の仰ぐ究極のよりどころである。どのような時代のどのような人々でも、この法をあがめないことがあろうか。心底からの悪人はまれであり、よく教え諭せば必ず従わせることができる。仏教に帰依しないで、どうしてよこしまな心を正すことができよう。」

第3条 詔を承りては必ず謹(つつし)め

三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下 ・・・・・

訳文「天皇の命を受けたら、必ずそれに従え。譬えるなら君は天、臣は地。天が万物を覆い、地が万物を載せる。それによって四季は規則正しく移りゆき、万物を活動させるのだ。もし地が天を覆おうとするなら、この秩序は破壊されてしまう。そのように、君主の言に臣下は必ず承服し、上の者が行えば下の者はそれに従うのだ。だから、天皇の命を受けたら必ず従え。もし従わなければ、結局は自滅するであろう。」

第4条 礼を以て本とせよ

四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

訳文「群卿(大夫と呼ばれる上位官吏)や百寮(各官司の役人)は、みな礼法を物事の基本とせよ。民を治める肝要は、この礼法にある。上の者の行いが礼法にかなわなければ下の者の秩序は乱れ、下の者に礼法が失われれば罪を犯す者が出てくる。群臣に礼法が保たれていれば序列も乱れず、百姓に礼法が保たれていれば国家はおのずと治まるものである。」

第5条 饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁めよ。

五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。・・・・・

訳文「食におごることをやめ、財物への欲望を棄てて、訴訟を公明にさばけ。百姓の訴えは一日に千件にも及ぼう。一日でもそうなのだから、年がたてばなおさらのことだ。近ごろ、訴訟を扱う者は私利を得るのをあたりまえと思い、賄賂を受けてからその申し立てを聞いているようだ。財産のある者の訴えは石を水に投げ込むように必ず聞き届けられるが、貧乏人の訴えは水を石に投げかけるように、手ごたえもなくはねつけられてしまう。これでは貧しい民はどうしてよいかわからず、臣としての役人のなすべき道も見失われることだろう。」

第6条 悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むる

六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。・・・・・

訳文「悪しきを懲らし善きを勧めるということは、古からのよるべき教えである。それゆえ、人の善行はかくすことなく知らせ、悪事は必ず改めさせよ。人におもねり、人をあざむく者は国家をくつがえす利器ともなり、人民を滅ぼす鋭い剣ともなる者だ。また、媚びへつらう者は、上の者には好んで下の者の過失を告げ口し、下の者に会えば上の者を非難する。このような人々はみな君に対して忠義の心がなく、民に対しては仁愛の心がない。大きな乱れのもととなることだ。」

第7条 七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り

七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。・・・・・

訳文「人にはそれぞれの任務がある。おのおの職掌を守り、権限を濫用しないようにせよ。賢明な人が官にあれば政治をたたえる声がたちまちに起こるが、よこしまな心をもつ者が官にあれば政治の乱れがたちどころに頻発する。世間には生まれながら物事をわきまえている人は少ない。よく思慮を働かせ、努力してこそ聖人となるのだ。物事はどんな重大なことも些細なことも、適任者を得てこそなしとげられる。時の流れが速かろうと遅かろうと、賢明な人にあったときにおのずと解決がつく。その結果、国家は永久で、君主の地位も安泰となるのだ。だから古の聖王は、官のために適当な人材を集めたのであり、人のために官を設けるようなことはしなかったのだ。」

第8条  群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。

八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。・・・・・

訳文「群卿や百寮は、朝は早く出仕し、夕は遅く退出するようにせよ。公務はゆるがせにできないものであり、一日かかってもすべてを終えることは難しい。それゆえ、遅く出仕したのでは緊急の用事に間に合わないし、早く退出したのでは事務をし残してしまう。」

第9条 信は是義の本なり

九に曰く、信は是義の本なり。・・・・・

訳文「信は人の行うべき道の源である。何事をなすにも真心をこめよ。事のよしあし、成否のかなめはこの信にある。群臣がみな真心をもって事にあたるなら、どのようなことでも成するだろう。しかし真心がなかったら、すべてが失敗するだろう。」

第10条 忿(こころのいかり)を絶ち

十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。 ・・・・・

訳文「心に憤りを抱いたり、それを顔に表したりすることをやめ、人が自分と違ったことをしても、それを怒らないようにせよ。人の心はさまざまでお互いに相譲れないものをもっている。相手がよいと思うことを自分はよくないと思ったり、自分がよいことだと思っても相手がそれをよくないと思うことがあるものだ。自分が聖人で相手が愚人だと決まっているわけではない。ともに凡夫なのだ。是非の理をだれが定めることができよう。お互いに賢人でもあり、愚人でもあるのは、端のない鐶(リング)のようなものだ。それゆえ、相手が怒ったら、むしろ自分が過失を犯しているのではないかと反省せよ。自分ひとりが、そのほうが正しいと思っても、衆人の意見を尊重し、その行うところに従うがよい。」

第11条 功と過を明らかに察て、賞罰を必ず当てよ。

十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。・・・・・

訳文「官人の功績や過失をはっきりとみて、それにかなった賞罰を行うようにせよ。近ごろは、功績によらず賞を与えたり、罪がないのに罰を加えたりしていることがある。政務にたずさわる群卿は、賞罰を正しくはっきりと行うようにすべきである。」

第12条 国に二君非(な)く、民に両主無し

十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。 ・・・・・

訳文「国司や国造は、百姓から税をむさぼり取らぬようにせよ。国にふたりの君はなく、民にふたりの主はない。この国土のすべての人々は、みな王(天皇)を主としているのだ。国政を委ねられている官司の人々は、みな王の臣なのである。どうして公の事以外に、百姓から税をむさぼり取ってよいであろうか。」

第13条 諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。

十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。・・・・・

訳文「それぞれの官司に任じられた者は官司の職務内容を熟知せよ。病気や使役のために事務をとらないことがあっても、職務についたなら以前から従事しているかのようにその職務に和していくようにせよ。そのようなことに自分は関知しないといって、公務を妨げるようなことがあってはならない。」

第14条 群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ

十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。・・・・・

訳文「群臣や百寮は人をうらやみねたむことがあってはならない。自分が人をうらやめば、人もまた自分をうらやむ。そのような嫉妬の憂いは際限がない。それゆえ、人の知識が自分よりまさっていることを喜ばず、才能が自分よりすぐれていることをねたむ。そんなことでは五百年たってひとりの賢人に出会うことも、千年たってひとりの聖人が現れることも難しいだろう。賢人や聖人を得なくては、何によって国を治めたらよいであろうか。」

第15条 私を背きて公に向くは、是臣が道なり。

十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。・・・・・

訳文「私心を去って公の事を行うのが臣たる者の道である。人に私心があれば他人に恨みの気持ちを起こさせる。恨みの気持ちがあれば人々の気持ちは整わない。人々の気持ちが整わないことは私心をもって公務を妨げることであり、恨みの気持ちが起これば制度に違反し法律を犯すことになる。第一の章で上下の人々が相和し協調するようにといったのもこの気持ちからである。」

第16条 民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。

十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。・・・・・

訳文「民を使役するのに時節を考えよとは、古からのよるべき教えである。冬の月の間(10〜12月)に余暇があれば民を使役せよ。春から夏にかけては農耕や養蚕の時節であるから、民を使役してはならない。農耕をしなかったら何を食べればよいのか。養蚕をしなかったら何を着ればよいのか。」

第17条 夫れ事独り断むべからず。

十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。・・・・・

訳文「物事は独断で行ってはならない。必ずみなと論じあうようにせよ。些細なことは必ずしもみなにはからなくてもよいが、大事を議する場合には誤った判断をするかも知れぬ。人々と検討しあえば、話し合いによって道理にかなったやり方を見出すことができる。」